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開発生産性とCreativityのあいだで —— Findy開発生産性Conference 2025に参加して

開発生産性とCreativityのあいだで —— Findy開発生産性Conference 2025に参加して

2025年7月4日 | イベント

2025年7月3日、Findyさん主催の「開発生産性Conference 2025」に現地参加してきました。

テスト駆動開発やXP、最近では Tidy First の著者としても知られる Kent Beck 氏が基調講演に登壇し、「開発生産性」について語ったセッションが印象に残ったため、その内容と私自身の考えをまとめておきたいと思います。

生産性とは何か? Kent Beck氏の問題提起

Kent氏の講演は、「生産性」という言葉が非常に定義しづらい概念であるという話に終始していたと感じました。これは既存の生産性指標への否定ではなく、「その指標は、本当に目的に沿って使われているのか?」という問いを投げかける内容でした。

例えば、よく使われる開発生産性の指標の一つに Pull Requestの数 があります。Pull Requestが小さい方がレビューしやすく、早く本番に反映できるため、PDCAを高速に回せるという理屈です。Kent氏はこの点を肯定しつつも、一方でその数が人事評価と直結してしまった場合、次のような副作用が起きると指摘しました:

意味のない単位でPull Requestを細分化し、内容の薄いレビューが乱立する。

実際に現場ではこうした光景が珍しくないと、私自身も感じています。

Goodhart’s Law:指標が目的を歪める

さらに、インシデントの報告数についても同様の問題があるとKent氏は述べていました。

もし評価が「インシデントの少なさ」と結びついていた場合、最悪、インシデントそのものを報告しないというインセンティブが働く可能性がある、と。

このような現象は、「Goodhart’s Law(グッドハートの法則)」として知られています。

“When a measure becomes a target, it ceases to be a good measure.”

— 指標が目標になると、その指標は良い指標ではなくなる

私はこれを聞いて、「自己目的化」「手段の目的化」という言葉が頭に浮かびました。

手段が目的を上回るとき、生産性は何を意味するのか?

目標達成のために設定された手段が、次第にその手段を達成すること自体が目的になってしまう。

これは現場の多くの人が無意識に経験していることでしょう。

本来、株式会社という組織におけるゴールは「利益を上げること」のはずです。しかし、役割が細分化され、個々の職務に対してKPIやKGIが課される構造では、いつしか「本来の目的」が見えにくくなります。

とりわけエンジニアは、こうした圧力の中で創造的な仕事がしづらくなっているのではないでしょうか?

分業制が創造性を奪う構造的課題

分業化は、本来は興味関心に沿った専門性の発揮効率性の向上を目的として設計されるべきです。しかし実際には、

  • 仕事の全体像が見えない
  • 自分の成果がどこに影響しているかわからない
  • 他部署のプロジェクトで自分の待遇が左右される

といった状態が蔓延し、「仕事の意味」が見えなくなるケースが多々あります。これはいわゆる 大企業病 と呼ばれる症状の一つかもしれません。

そうした構造の中で「生産性」という言葉が使われることに、私は強い違和感を覚えます。

生産性指標は道具であって目的ではない

Kent氏は、「指標を導入すること自体が悪いのではない」と言います。

むしろ、ゴールを達成するための“補助ツール”として、冷静に使うことが大切だと。

ところが現実には、指標がKPIに変わり、KPIが人事評価につながり、数値を上げること自体が目的となってしまう構造が存在しています。

これはCreativityではありません。

少なくとも、私の考える創造性とは、「目の前の問題の本質を捉え、それに対して最も効果的な手段を柔軟に考える力」であって、「定められた指標を最適化すること」ではありません。

真の意味での“エンジニアリング”とは

「ソフトウェアエンジニアリング」は、単にコードを書く行為だけではありません。

  • 本当にその問題はコードで解決すべきか?
  • そもそも課題の構造はどこにあるのか?
  • 代替手段はないのか?業務設計から変えられないか?

こうした 問題解決の全体設計に関与することこそが、エンジニアリングの本質であると私は考えています。

そして、この視点を持ったとき、「生産性」という言葉は、個々人に課す圧力ではなく、組織全体でゴールに向かうための道具として使われるべきなのです。

終わりに

Kent Beck氏の講演は、生産性という言葉が現場でいかに誤用されがちか、そしてその誤用がどれほど創造性を損なうかを、改めて気づかせてくれるものでした。

私たちは、生産性の“数値化”に執着するのではなく、なぜその指標を使うのか? 何のために測るのか? を問い直す必要があります。

クリエイティブな仕事とは、制約の中で新たな可能性を見出すこと。

生産性とは、本来そのための「支え」であるべきです。